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私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 2017.Ver Part.12

2007年から2008年に書いた「私情、千原兄弟がトップの頃の2丁目劇場の思い出」はPart.11まででしたが、ここからは現在(2017年)、思っていることや以前書かなかったことなどを書いていこうと思います。
何せ、古い記憶です。間違っている部分などありましたら、ご指摘ください。また、意見などありましたら、コメント欄に書いてください。

今回は女性のピン芸人で孤軍奮闘していた、杉岡みどりさん(大阪NSC9期生)のことを書きたいと思います。

今でこそ、女性芸人、女性ピン芸人が多くなりましたが、当時は少なかったですね。
2丁目劇場では女性漫才コンビ二組(一組は海原やすよともこ(大阪NSC11期生あたりと同期)で中田ボタン師匠のお弟子さん。また、海原お浜小浜の小浜師匠のお孫さんでもあります。)と、ピンでは杉岡みどりさんくらいしか残っていなかったように思います。

彼女は見た目良く、でも、それに頼らない独特のコントをする芸人さんでした。
私が個人的に好きだったネタは「かっこいい女」というコントでした。
当時、某宗教団体が話題となっており、その教祖が見せる行動をパロディにした部分もはさみつつ、一人で世界を救う、まさに「かっこいい女」という感じのコントをやっておられました。

ですが、なかなか、彼女のような芸人が認められ、活動を広げていく感じにはならなかったように思います。
その後、調べてみると芸人を続けつつ、放送作家もやっているようです。

当時、2丁目劇場若い女性ファンが多く、彼女たちが目当てにしている芸人は男性のコンビ芸人が多かったと思います。
また、あまり、このことは書いていませんでしたが、2丁目劇場では芸人のライブの後にバンドが出てきて演奏するという形式で「WA CHA CHA LIVE」という題名のライブをメインにやっていました。
しかし、お笑いを見ている客にバンドを目当てに来ている人は少なく、また、近隣の騒音問題でバンドの人たちはやりにくかったのではないか、と思います。(まあ、うるさいのは困る、という気持ちはわかります。)
私はGAORAで見る機会しかなく、バンドの演奏も放送されていて、演奏を聴いていましたが、個人的にはクロックアティック(バンド名、間違っていたらすみません。)が好きでした。
あと、Four Tripsというバンドも出ていました。
2丁目劇場でバンド出ていて、のちに売れたのはポルノグラフィティ(当時は英語表記)くらいですね。(ポルノグラフィティは見ていません。のちに2丁目劇場のファンクラブの会報類を見て知りました。)

千原兄弟がトップの頃の2丁目劇場は本当に男性のコンビ芸人ばかりでした。
ピンやトリオがいたほうがコントラストがついていいのにな、と思ったのですが、あまり、上位に残れなかったのかもしれません。
千原が東京に行った後に、のちにロッチというコンビで活躍している中岡さん(大阪NSC16期生)が「3児」というトリオを組んでやっと上位近くに出てきたくらいですかね。

長くなりました。
失礼いたします。