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私情、千原兄弟がトップの頃の2丁目劇場の思い出 2017.Ver Part.14

たいへん、お久しぶりです。

今回は大阪NSC8期生のスミス夫人です。
スミス夫人のコンビ名は確か、1941年のヒッチコック監督の映画「スミス夫妻」から来ていると思います。(ウィキペディア情報だと、日本未公開の映画だそうです)

のちにザ・プラン9のメンバーになり、現在はピン芸人なだぎ武さんと幼なじみの方と組んでいたコンビです。
系統としてはリットン調査団や同期のバッファロー吾郎と言われていたと思います。
2丁目劇場では千原兄弟と同期です。

私は好きな系統のコンビでした。コントを中心にやっていました。相方だった方のほうは強く特徴のある方で独特のボケをしていました。なだぎさんは無駄に動作が多く、ツッコミではありましたが、コントの入りはなだぎさんのボケから入る感じでした。
ヒップホップグループ、脱線3(ダッセンスリーと発音するそうです。長い間「ダッセントリオ」と発音すると思っていました。ちなみに、もちろん、昔のお笑いトリオ、脱線トリオとは関係ありません)のアルバム「バチルカ」というアルバムの一曲に参加しています。(アルバムは持っていますが、今、どこにあるかはわかりません。その曲には松口VS小林なども参加していました)

2丁目劇場が閉館する間近の頃はあまり見ていないので、どういう状況になっていたかは正直、あまり知りません。ただ、スミス夫人が漫才を始めたのにはびっくりしました。面白かったですが、なんか、スミス夫人が漫才をやるのは違う感じがしました。のちに「爆笑BOOING」で優勝したそうですが、それも知りませんでした。心斎橋筋2丁目劇場のトップになったこともあったそうです。(2丁目劇場は1999年3月末に閉館します)

2001年にスミス夫人は解散し、相方だった方は引退しました。惜しい人材だと思ったのですが…。

その後はなだぎさんはザ・プラン9に入ったり、抜けたりして、今に至ります。